魔女と百騎兵Revival

魔女と百騎兵Revivalをプレイ中。

日本一ソフトは対象年齢中高生向きというイメージが根拠もなくあったので目に止まっていなかったけど、評判が妙に良いことと割引中だったのでダウンロード購入。

他のよくわからないけど評判が妙に良いゲームは、レイジングループやシルバー事件俺たちに翼はないPORTALやUNDERTAILあたり。合う人にとっては100万点ゲー。俺つば風なら7兆点。

妙に評判が良いゲーは、無闇に評判が良いゲーよりも胸に残るの法則。

 

魔女と百騎兵も序盤はパンチが効いてて引き込まれやすいものの壁がなかったと言えば嘘になる。それでも登場人物の魅力に段々と、特に6章7章ですっかりと引き込まれた。

や~な感じの魔女が出て、メタリカ様が大暴れをするだけでも今の所は面白い。そこからの7章ブリダンゴ虫編良かったなあ。基本的に含みのあるストーリーは好きだけど、最後のブリダンゴ虫と王子様のシーンが凄く良かった。

変わるもの変わらぬもの、変わらなきゃならないもの。短いシーンだったけど、それが全て凝縮された名場面。おもしろー。

 

たぶん、まだまだ中盤。評判妙に良いゲーの本領はこらからなのだろう。楽しみです。

 

魔女と百騎兵 Revival 通常版 - PS4
 

 

 

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い 喪138

先週のゆりちゃん回でハードルが上がり、今週のネモ回どうなるんだろうと少し心配していたけど杞憂も杞憂、谷川ニコ先生はいつも予想を裏切り期待は裏切らないでいてくれる。

 

最初の待ち合わせはナイトメアクリスマスを彷彿とさせる構図だったけど、当時クラスのみんなを待っていた二人が、今では他でもないもこっちを待っていたという事実が尊い…。ずっともこっちを見守っていた読者にとっては、それだけで感無量だ。

 

そしてネモ回でもあり、あーちゃん回でもある今作。あーちゃんドン引き選手権を開催するネモの闇にこっちがドン引きするものの、そのネモをドン引きさせるもこっちに数々の修羅場をくぐり抜けた本物の凄みがあった。というかネモ自体実はエロゲはリトバスをやった程度で、「あれ、この子別に闇深くなくない?」「Sっぽさ見せるけど守りに入ると脆くない?」「可愛い…」と、ネモにドン引きどころか結果的に好感度マシマシ。全ては谷川先生の手のひらの上。

ウネウネ動く電動バ○ブに幼児退行していくあーちゃんの可愛さも筆舌に尽くし難い。モブキャラ感が否めなかったあーちゃんをここまで魅力的で可愛いキャラにしてしまうなんて。最後電車の中で疲れて眠るあーちゃんがどんな夢を見ていたのか。想像すると胸やいろんな所が熱くなる。全ては谷川先生(略

 

もう一つ触れて置きたいのは喫煙しているゆりちゃん吉田さんもこっちの想像図だ。

人気投票一位の女の子が喫煙している姿を書くのは攻めの姿勢を崩さないこの漫画らしくて良いけど(しかも異様に似合う)、それ以上にもこっちが想像する大学生活の隣にその二人がいるという事実を見過ごすわけにはいかない。

以前ならば横にはコオロギとゆうちゃんがいるであろう想像図だったポジションに、当たり前のように吉田さんとゆりちゃんがいるのは、もこっちの人間関係と内面の大きな変化を、ギャグ描写の形でさりげなく示唆している。凄いよ谷川先生ェ…。

 

最初から最後まで、尊さに満ち満ちていた今回。もこっちを見守り続けて来て良かったと、強く思わされた。

 

しかしハードルを軽々越えてきたからこそ、次回のスクールカースト絶対王者にして読者にとってのピープルズチャンピオンでありランカートップのビッグマザーこと加藤さん回のハードルが更に上がってしまったのが痛し痒しと言ったところか。

谷川"選ばれしものの恍惚と不安を共に我あり"ニコ先生が、次回どのようにこのハードルを越えるのか、あるいはくぐり抜けるのか、当時FF7が発売される前以来の期待感を胸に秘め、3週間ウキウキしながら待ちたいと思う。

 

 

 

The Sexy Brutale

The Sexy Brutale(セクシー・ブルテイル)トロコン。

ソニーのサマーセールを見ていたら、セクシーと言う響きにいやらしいものを感じて目についた。なんとなく雰囲気が良さそうで評判も良かったからプレイ。いやらしさはまるでないやんけ!

 

そんな出会いだったけど、やってみると見事な海外産の良ゲーでした。トロコンのこだわりは全くないので、単純にハマってしまってやりたくてコンプリート。これは簡単なやつだけど。

 

使用人がいろいろな方法でゲストを殺すのを回避させて行く覗き見ゲーム。ラブデリック好きにはmoonやUFOやエンドネシアチュウリップのようなゲーム(特にUFOかなあ)と言えばわかる。つまりはラブデリックっぽい。ほのかに。

あくまでそういうエッセンスがあるというだけではあるけれど、音楽、グラフィックセンスの良さもラブデリックを思い出す材料だった。特に音楽は多様な種類の曲を場面や長さを合わせて流れていて大変素晴らしかったです。耳に残る良BGM。

 

途中違和感があったのは、殺されるのを回避していくのに結局次の人を救うターンになると救ったはずの人はまた最初と同じように殺されている。勿論これはきっちりと理由をつけて説明してくれます。

このゲームは断罪でもあり、贖罪でもあり、何より救済のストーリーだった。何とも厳しくて、少し怖い部分もあって、優しさもある。

そこまでの大罪を犯したことはないけど、昔しでかしてしまったことが未だにフラッシュバックしてうわあああってなる人間にとっては神ゲーでした。そろそろ幸せになっても良いのかもしれない。そういう人たちみんな。

 

ちなみにAmazon輸入盤のリンクは貼っておくけど、DL販売で購入したほうが多分得。

前述した通り、ソニーはサマーセール中でお得ですよ。

 

The Sexy Brutale: Full House Edition (PS4) (輸入版)

The Sexy Brutale: Full House Edition (PS4) (輸入版)

 

 

悲終伝

6年に渡る長期シリーズも悲終伝で完了。

読んでるだけでも西尾維新の筆が乗りすぎてどこまでも曲がりくねって紆余曲折しているのがわかるシリーズ。

思い返すと地球との戦争成分は長々続いた中で微々たるものだった。ほとんどは空々くんを中心とした成長変化の物語。そういう意味でもはこれもジュブナイル

 

そんな空々くんが地球さん良い人説という突飛とも言える詭弁を話していたが、悲鳴伝で人間の子供にしか見えない地球陣を人間側が虐殺していたシーンを思い出すと善悪の無意味さを説いた発言でもあり、つまりは「戦争に勝者なんていない。敗者と死者がいるだけだ」ということなのだろう。

なんだかよくわからないけど、なんだかよくわからないシリーズだったから良いじゃないか。

 

地濃という濃度100%のキャラクターを生み出せたのだから良シリーズだった。

ラストはみんな少し幸せになり、みんな少し不自由になった、綺麗な不思議なおとぎ話でした。

 

悲終伝 (講談社ノベルス)

悲終伝 (講談社ノベルス)

 

 

 

 

悲球伝

伝説シリーズ9作目「悲球伝」読了。

「いっそのこと飛ばしてしまってもいいような一冊」とあとがきで書いている通り、送りバントのような、繋ぎの一冊。燃えよドラゴンズでいうと「2番井端がヒットエンドラン」のところだ。

 

ただし、2番井端がヒットエンドランをするからこそ3番福留がタイムリーを打ち、4番ウッズがホームランを打つことで燃えよドラゴンズの歌は完成するように、おそらくこの一冊も必要な一冊だったのだろう。

そして燃えよドラゴンズの下りは全く必要がない。

 

視点切り替えがちのこのシリーズ、今作も視点を3つに切り替えながら進む。読み辛いよう、街はなるべく一人ずつ進めていくタイプだようと思いつつも、細かい謎の実態は何なのか、全体像はどうなっているのかを予想しながら読んでいくのは面白かった。何一つ当たらなかったけど。

ただ明示されるの答えは、推理というより西尾維新維新がやりそうな展開を想像したらたどり着けない答えではなかったと思うので、フェアの範疇だったと思う。

 

いつもの会話劇が長々と続く今作、まさしく傑作マーベラス!と言えば嘘になるけれど、ラスト手前の助走としては良かったのかもしれない。今は続きであり最終巻である悲終伝を読みたくてたまらないし。

バントにしろ、ヒットエンドランにしろ、ホームランにしろ、最終的に試合に勝てばそれで良い。むしろ試合で負けても最終の最終的に優勝して日本一になれればそれで良いのと一緒で、最終巻を読んだ時の感想が最高傑作マーベラス!となっていれば、それで良いのだ。

 

果たして。

 

悲球伝 (講談社ノベルス)

悲球伝 (講談社ノベルス)

 

 

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!13巻 

そんなわけでわたモテ13巻を購入。

 

初期のわたモテは、もこっちの痛さが読んでて時々辛くなる部分があったけれど、それは共感性羞恥だけではなく、どこかで身に覚えがあるような生々しさを含んでいたからではないだろうか。

そんなもこっちが行動して、失敗して、めげずにまた行動して現状があるのだから、感情移入するに決まっている。

 

そして改めて読み返してみるとリア充に見えていた周りの人たちも、どこかうまく立ち振る舞えない不器用な要素が見て取れる。

この感じも生々しくて、だからこそ愛おしい。

 

13巻で一番好きなシーンなのが、

「私の中で本音で話すのが流行りだから聞いちゃうけど、田村さん私のこと嫌い?」

とネモが話すシーン。

はっきり聞くのは関係性変化の手段として必ずしも悪手ではないと思うけど、少なくとも前半は絶対にいらない。そんなこと言われても「知らねえよ!」としか思えない。

「田村さんが嫌でもからんでいくよ」と宣言するのも、本来なら口に出さんで良いやつです。行動だけで良いじゃない。

このセリフって言っちゃえば超オタクっぽいセリフ回しなのだけど、これは漫画だからというわけではなく、もこっちやコオロギ以外ではこういうオタク感のあるセリフってほぼないので、間違いなくネモのキャラクター性から来るものだ。

そして、最初読んだ時は強キャラの雰囲気を感じていたけれど、そう考えてみると胸の奥の不安を無意識のうちにアニメ調のセリフとして喋ることで緩和させているとも読み取れる。というかそういう意味合いのセリフになる。

 

こういう細かい描写の積み重ねが今のわたモテの一番の魅力であるけれど、単純にお腹を抱えて笑える漫画でもあるし、クレ●ンし●ちゃんへの風評被害が「有名アニメ」という表現へ訂正されているあたりに、「ニコはバカだなー」とネモ調に親しみを込めて感じてしまい、更に好きになってしまうのでありました。どっとはらい

 

 

モテないし大学に行く

一部で局所的にバズってるわたモテ。

昔アニメ化されたときの印象で、オタクでぼっちの痛い女の子主役の漫画と思っている人は多いと思うけど、異世界に逃げず痛いなりに行動した結果オタクで痛い女の子はいつの間にかぼっちではなくなっている。

現状はもこっちハーレムとすら呼ばれる状況だけど、そこに至るまでの過程を丁寧に、そして少しずつ輪が広がって来て現在があるので、わたモテ人気が改めて再燃しているのだ。

アニメ化された当時のわたモテしか知らない人は、大きな転機となる修学旅行編の8巻からで良いので読んでみてほしいです。

 

 

 

そしてそんなわたモテ今日更新。ゆりちゃんと大学見学に行くもこっち回。別名ゆりちゃんデート回。

ゆうちゃん以外の女の子と二人で出掛けて緊張せず、変な勘違いせず、そして暴走もせず自然体でいられるもこっちに感動すら覚える。それはもこっちの成長でもあるしゆりちゃんとの関係性の進歩でもある。更に言うならゆりちゃんの成長もあるのかもしれない。

 

二人で出掛けた時に凄く大事なのは、無言の時間が気まずいかどうかだと思うけど(ぼっち脳?)、ゆりちゃんとの中にはそれが全くなくなっている。二人してスマホ見るとかじゃなく、二人とも自然とボーッとしていたり考え事をしている。その関係性が本当に尊ひ…。スマホの描写がないのは所詮漫画だからと思うかもしれないけど、いやいや、わたモテが確変してからの谷川先生はそういう描写が実に丁寧な方ですよ。絶対に考えた上で描いています。今の谷川先生はなんと言っても舞い散る花びらや床に写る影で関係性を表現した漫画家さんです。あれは普通に読んでたら気が付かないぜ。

 

ちなみにそんな谷川先生唯一にして最大の弱点は、食べ物の描写、というよりはっきり言ってしまえば画力の問題なのか、時々この食べ物は何なのかで論争が巻き起こることだ。(キバ子ステーキで検索ゥー!)

あれが悔しかったのか、最近は毎回のように食べ物が出てくる。反骨イズムだ。

 

そしてなんと言っても今回のお話の一番尊い所は、もこっちが高校生活にポジティブな思いを持っていることがモノローグで明言されたこと、今まで名前を読んでこなかったねえさんをゆりちゃん(ゆりちゃ)と呼んだことだろう。ゆりちゃんの表情筋もどんどん筋肥大していくはずだ。

ヒクソン並にマウントを取りたがるもこっちは、プレゼントをあげるとかの行動は出来ても、下の名前で呼ぶ、それも別れ際というここぞというタイミングで呼ぶことが出来るタイプじゃなかった。むしろそんな青春みたいなことやってられるかタイプだったはずなのに。

 

一つ言えることは、ぼっち喪女だから青春をしちゃいけないなんてルールはないし、逆に青春と名前をつけて忌避する必要もない。つまりはもこっちが自然とそれを行えたことに、大きな意味があるのではないかなあ。