それでも町は廻っている

藤子不二雄先生のSF(少し不思議)を継承しつつ、ミステリーを好む石黒正数先生の「それでも町は廻っている」がついに終わってしまった。

この漫画の魅力は語り尽くせばキリがないし今更だけれども、最終巻である16巻は一話完結ながらも繋がっているストーリーが終わりに向けて完結していき、良い所の要素がマシマシで溢れ出ていた。

紺先輩の成長、紺先輩に隠れがちだったタッツンとの友情、メイド喫茶の終焉、時系列の入れ替え、そしてそれ町最後を締めくくる書き下ろしのエピローグ…何から何まで完璧だった。

 

キャラクターの魅力に関しては、はっきり言って読めばわかるの一言なんだけど、敢えて触れるならばやはり一番人気であろう紺先輩。

完璧だからね、この人。何が完璧って全く完璧じゃないところが。美人で孤高の甘えん坊で、歌が上手くて動揺を表に出さず動揺しやすい超低血圧。あぁ…(言葉にならない溜息)。

 

そんな紺先輩、大きな挫折の原因となった座成と一応の決着を迎える。

大学生活について歩鳥に聞かれたとき、訛をからかわれてる子を回想しての台詞、「なんだこんなもんかと思ったよ」。聞き手の歩鳥は当然、大学生活の感想だと思うシーンで、読者も読み流してたらそう思うシーンだけれど(自分がそうだった)、読み返してみると「こんなもんか」のコマは大学生活のコマと服装が違い、座成に会いに行ったときの服を着ている。つまり、この言葉は久しぶりに会いに行ったら気まずそうに狼狽えながら紺先輩に接する座成に対しての言葉だ。

そう考えると大学生活のエピソードも少し変わってきて、昔の巻を読み返してみると座成先輩も少し訛がある。つまりそこを対比させているし、あるいは想像だけれども、近況を尋ねられた座成も同じような目にあったという話をしたのかもしれない。

こういう初見では読み過ごしてしまいそうなことが、随所に散りばめられているのがそれ町の大きな魅力の1つだ。

 

ちなみに座成に関しては、13巻に収録されている針原さん視点の紺先輩と座成の思い出話も、改めて2回目を読むと大きく意味合いが変わってくる(当時でもちゃんと読み込む人は気付くように出来てるけど)。

これについて、後述する廻覧板を読むと石黒先生が悪意たっぷりに解説をしてるので必見!

 

そして最終巻でもう一つみんなが印象に残るであろう話は最後の2話だろう。

これまたなんとなく読むと、風呂敷をイタズラに広げたものの畳まず逃げたかのようだけど、それ町特有の時系列入れ替えトリック。それを最後2話に持ってきた上でミスリードを誘う順番にし、投げっぱなしメタエンド風にしてるのが鮮やかすぎる…(声にならない溜息2)。

ネタバラシをすると、これは連作のようで全く時系列の違う2話で、特に歩鳥が消えてしまうことを選んだ続きの話は既に14巻で描かれている。ここも凄いのは一話完結でSF(少し不思議)として成立していたのに、最終巻の話があることで歩鳥が選択した生まれた世界の重み、深さが増す。

 

この辺りの解説はすべて解説本である廻覧板に書いてあるので、これまた必見ですよ。 解説片手に読み返すと200%楽しめます。

 

そして、それ町らしい終わり方ではあるものの、物足りなさも感じてしまう最終話(本来最終話ではないし)。

最終巻で、石黒先生はホントの最終話を描き下ろしてくれた。

一瞬エヴァの悪夢を思い出させられるがそんなことはなく、むしろ一コマ一コマの中の服装と台詞と表情だけで、性格と成長、両方表現している石黒先生の漫画表現の集大成だった。

祝福する町の人々。

祝福する迷惑をかけた恩師。

祝福する家族。

小学校時代の友達と仲良くする弟の姿。

驚く友人。

真っ直ぐに褒めてくれる先輩。

辛いときもめでたい時もカレーを振る舞ってくれる婆ちゃん。

 

成長した歩鳥。

そしてもっと前から成長していたことを知り、驚き、喜び、寂しがり、感謝する静。

 

それだけでも最高だったのに、Kindle版だと最後に表示されるカバー裏の絵が、歩鳥が変わらずそのままの歩鳥で、それでも町は廻り続けることを一枚の絵と言葉で表現されている。

 

まさしく100点満点の最終巻で、廻覧板の解説を読みながら全巻読み返したら、200点の『それでも町は廻っている』でした。