宵物語

学生のときから西尾維新を読み続けるも、忘却探偵の新作は読めていないし伝説シリーズも8までで止まっている。

ただし化物語シリーズは比較的読みやすく、丁度アニメも放送中なので宵物語を読了。

 

西尾維新の最高傑作は、他の全てを読み終えていればという注釈付きでデビュー10周年記念作品である少女不十分だと思っているのだけど、今作宵物語も少女不十分を彷彿とさせる、具体的に言ってしまえばネグレクトの描写があった。

少女不十分は実話の体をとった全くのフィクション(おそらく)だけれど、西尾維新作品に流れる根底の考え方が織り込まれて折り畳まれて説明された作品。

少女不十分で少女を救ったのはたくさんの作り話でありおとぎ話。どこか壊れた人間たちが、壊れているなりになんとなく幸せになるおとぎ話。

デビュー作のクビキリサイクルの最後に記された文字も「Alred marchen」=真っ赤なおとぎ話。

繋がっている。

 

今作のネグレクトされている少女を救うおとぎ話の結末は、可愛い神様の強い強い、少女への全肯定だった。いや、あのシーンは涙腺に来たよ。少女不十分が好きなんだから来ないわけがない。より力強いメッセージだった。自分はネグレクトされた経験はないけれど、決してメインストリームで幸せな家庭でもなかったので、胸に来る。過去の自分があって今の自分があり、過去の自分が肯定されれば嬉しいに決まってるのだ。

そしてあの全肯定はネグレクトされている子供に当てはまるだけではなく、大人になってからもメインストリームから外れていたり、あるいは何かが壊れてしまっている人も、やっぱり壊れているなりに幸せになってしまっても良いというメッセージが西尾維新作品の繋がり通り溢れているように感じた。

 

とまあ、こんな気持ち悪い文章を勢いで書いてしまうくらい、秀逸だったと思うのだ。佳境に入るまではいつも通りグダグダだった感はあるけれど、それで良い。何故なら壊れた人間が壊れているなりに幸せになってしまって良いなら、壊れている小説が壊れているなりに傑作になってしまっても良いじゃないか。

 

宵物語 (講談社BOX)

宵物語 (講談社BOX)

 

 

少女不十分 (講談社ノベルス)

少女不十分 (講談社ノベルス)