誰がなんと言おうとMOTHER3が好きだ。
「ゲームってこんな感じでも良いんだ!」と、ほんの少し世界の多様性を幼心に知ったのがMOTHER2。
PSか64のどっちを買ってもらうかも、MOTHER3が発売されるのだから64一択。(あとでPSも買ってもらったけど)
そして、世界に避けようのない理不尽が待ち構えていることがあると知ったのは、MOTHER3の発売中止だった。
中止が決まる前、雑誌に掲載されていたMOTHER3の謎ポリゴンにコレジャナイ感はあったので、情報が小出しにされていた間も手放しに進化スゲー!とはならなかったけど、それでもやってみたかった。そんな価値観を吹き飛ばしてくれるのがMOTHERと信じていた。
そして数年後のある日、ウトウトしながら内村プロデュースを見ていたら、CMで突然のどせいさん。MOTHER1+2発売の情報。そして最後に「MOTHER3もげーむぼーいあどばんすでつくってるです。ぐんまけん。」
あの時の衝撃は今でも覚えている。おそらく情報の初出がCMでかつその時だったんじゃないかなあ。
ここはうろ覚えだけど、テレ朝実況に飛んでいったら衝撃と困惑と、大歓喜の声が多数書いてあった記憶がある。ひょっとしたら一人でそう思っていただけで、実際は作り出された嘘記憶かもしれないけど。
なんにせよ、この時世界には、幸せが歩いてくるどころか瞬間移動してくることもあるのだと知った。
そんな紆余曲折し、首を長々と伸ばしに伸ばして発売されたMOTHER3は、MOTHERシリーズが大好きだった人たちをいろいろな形で裏切った作品だった。
でも、それで良い。
MOTHERだからそれで良かった。
伊集院光もラジオで、誰もが待ちに待った待望のMOTHER3とは思えないくらい衝撃的な、ある意味挑発的なシナリオについて、ネタバレを避けながら笑いも混じえて驚きを言葉にしていた。プロは凄い。
あのシナリオはタブーでもあったけど、それでもあのシナリオだからこそ異様なのめり込み方で最後までプレイ出来た。大人になってゲーム離れし始めていたから、これも凄いことなのだと思う。
MOTHERはいろいろな形で、世界の多様性を教えてくれた。だから、MOTHER3がああいう形になったのも僕にとっては何一つ問題はないし、あれで発売されたならあれが最善だった。
衝撃で呆然となったシナリオも、ラストバトルで涙を流していたのも、最後はポカーンとして終わったのも、MOTHER3だから起きたことだし、更に言うならMOTHER2から紆余曲折あり、自分自身も人生経験を積み重ねた状態で、MOTHER3をプレイしたという全ての事実が積み重なってのそれだから、やっぱりMOTHER3は誰がなんと言おうと、大好きなのだ。