モテないし大学に行く

一部で局所的にバズってるわたモテ。

昔アニメ化されたときの印象で、オタクでぼっちの痛い女の子主役の漫画と思っている人は多いと思うけど、異世界に逃げず痛いなりに行動した結果オタクで痛い女の子はいつの間にかぼっちではなくなっている。

現状はもこっちハーレムとすら呼ばれる状況だけど、そこに至るまでの過程を丁寧に、そして少しずつ輪が広がって来て現在があるので、わたモテ人気が改めて再燃しているのだ。

アニメ化された当時のわたモテしか知らない人は、大きな転機となる修学旅行編の8巻からで良いので読んでみてほしいです。

 

 

 

そしてそんなわたモテ今日更新。ゆりちゃんと大学見学に行くもこっち回。別名ゆりちゃんデート回。

ゆうちゃん以外の女の子と二人で出掛けて緊張せず、変な勘違いせず、そして暴走もせず自然体でいられるもこっちに感動すら覚える。それはもこっちの成長でもあるしゆりちゃんとの関係性の進歩でもある。更に言うならゆりちゃんの成長もあるのかもしれない。

 

二人で出掛けた時に凄く大事なのは、無言の時間が気まずいかどうかだと思うけど(ぼっち脳?)、ゆりちゃんとの中にはそれが全くなくなっている。二人してスマホ見るとかじゃなく、二人とも自然とボーッとしていたり考え事をしている。その関係性が本当に尊ひ…。スマホの描写がないのは所詮漫画だからと思うかもしれないけど、いやいや、わたモテが確変してからの谷川先生はそういう描写が実に丁寧な方ですよ。絶対に考えた上で描いています。今の谷川先生はなんと言っても舞い散る花びらや床に写る影で関係性を表現した漫画家さんです。あれは普通に読んでたら気が付かないぜ。

 

ちなみにそんな谷川先生唯一にして最大の弱点は、食べ物の描写、というよりはっきり言ってしまえば画力の問題なのか、時々この食べ物は何なのかで論争が巻き起こることだ。(キバ子ステーキで検索ゥー!)

あれが悔しかったのか、最近は毎回のように食べ物が出てくる。反骨イズムだ。

 

そしてなんと言っても今回のお話の一番尊い所は、もこっちが高校生活にポジティブな思いを持っていることがモノローグで明言されたこと、今まで名前を読んでこなかったねえさんをゆりちゃん(ゆりちゃ)と呼んだことだろう。ゆりちゃんの表情筋もどんどん筋肥大していくはずだ。

ヒクソン並にマウントを取りたがるもこっちは、プレゼントをあげるとかの行動は出来ても、下の名前で呼ぶ、それも別れ際というここぞというタイミングで呼ぶことが出来るタイプじゃなかった。むしろそんな青春みたいなことやってられるかタイプだったはずなのに。

 

一つ言えることは、ぼっち喪女だから青春をしちゃいけないなんてルールはないし、逆に青春と名前をつけて忌避する必要もない。つまりはもこっちが自然とそれを行えたことに、大きな意味があるのではないかなあ。