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ゼルダの伝説 クリア

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

神獣を開放してすべての記憶を思い出し、ガノンを倒してゼルダ姫救出!

サブクエストは残っているし祠はまだあるけど、一通り目についたやつはやったかな。

 

感想。

ゼルダ姫が可愛くないのが発売前は気になったけど、なるほど、今作のゼルダ姫は高貴なお姫様ではなく、普通と同じ人間というところに比重を置いて描いてある。

だから敢えて美人過ぎず、愛嬌のある感じにしたんだろう(逆にリンクは完璧超人なので超イケメン)。

リンクがゼルダを守り傷付き回復している100年間、足手まといになっていた恩返しとばかりに覚醒した力を使ってその能力以外では普通の人間(女の子)であるゼルダガノンを封じていたことに意味がある。

等身大だったからか、助けたときの感動も何だかリアルだった気がする。

 

ちなみに任天堂が可愛い女の子を描けないわけじゃないのは他のキャラクターを見ればよくわかる。特にパーヤはずるい。そしてリンクは悪いやつだ。

 

女の子の感想はともかく、ゲームの感想。

写し絵機能や料理に終盤面倒臭さは感じるし、馬はどこにいても来れる場所なら口笛で来るべきだったと思う。そして普通のダンジョンが一つは欲しかったという気持ちもある(これはハイラル城がそうかもしれないけど)。

そんな気になる点はあるのだけれど、点数を付けるなら100点満点以外はありえない。最高のゲームだった。

何が良いとか細かく書いて、却って魅力を失っても嫌なので、理由だけ書いておく。

 

こんなにゲーム世界にのめり込んで、プレイ中ずっと楽しい、そしてクリアした時寂しさでいっぱいになったゲームは子供の時以来だった。

 

その事実だけで、100点。

大人になってから当時の感覚をまた感じられたことが、本当に嬉しい。

 

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

 

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

もともとオーブンワールドに良いイメージはない。オーブンワールドが主体の洋ゲーもそういう理由で苦手なことが多い。

バットマンやボータルは滅茶苦茶面白かったけど、オーブンワールドではない所に力を注いでいたから面白かった。

なので今作、ゼルダがオーブンワールドということに不安しかなかったけど、せっかくWiiU持ってるしゼルダブランドを信頼して購入してみたら、何コレ超面白い。

 

草に火をつければ燃え広がるし、木を切れば倒れる。そういう自由度はたぶん当たり前なんだろうけど、ほぼどこでも登れるという要素だけでオーブンワールドが苦手な人間ですら楽しいと思えるゲームになってる。

『この壁越えられるだろ』『モンスター倒せるやつが柵に阻まれるなよ』

そういうゲームのある種お約束的概念を覆すことがここまで楽しいとは思わなかった。

 

そしてそれに拍車をかけて面白さが増してるのが、アイテムが序盤からバンバン手に入るということ。

高いところから落ちたら当然ダメージを受けるけど、今作は早い段階でパラグライダーのようなアイテムが手に入るので、飛び降り放題になる。

つまり、高いところは登っていけるし逆に高いところから飛び降りるのも自由自在。本当の意味で行きたいところに行けるゲームになっている。

 

もちろん、知らないだけで既にそういうゲームはあるのかもしれない。

ゼルダだからべた褒めしてるんじゃないかと思われるかもしれないけど、そのとおーり!ゼルダだから良いのだ。

これはもう当たり前の話で、イチから知らない登場人物、舞台に感情移入するよりも、リンクを操ってハイラル王国、ゼルダ姫を救うほうが取っ付きやすいに決まっている。

それがシリーズものの強み。

けれど、だからこそ保守的になってしまいがちな所に、全く新しいものを取り入れたことが凄いことだし、何よりもそれに違和感(コレジャナイ感)を感じさせないどころか楽しさが増しているのがさすがだわ。

 

この驚きは、初めてマリオ64時のオカリナをやったとき、あるいはFF7をやった時以来の衝撃だ。

これだけいろんなゲームを経て、ある種行き着くところまで行き着きつつある中、見せ方遊ばせ方の違いでここまでのめり込むこと方法がまだあるとは思わなかった。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

 

それでも町は廻っている

藤子不二雄先生のSF(少し不思議)を継承しつつ、ミステリーを好む石黒正数先生の「それでも町は廻っている」がついに終わってしまった。

この漫画の魅力は語り尽くせばキリがないし今更だけれども、最終巻である16巻は一話完結ながらも繋がっているストーリーが終わりに向けて完結していき、良い所の要素がマシマシで溢れ出ていた。

紺先輩の成長、紺先輩に隠れがちだったタッツンとの友情、メイド喫茶の終焉、時系列の入れ替え、そしてそれ町最後を締めくくる書き下ろしのエピローグ…何から何まで完璧だった。

 

キャラクターの魅力に関しては、はっきり言って読めばわかるの一言なんだけど、敢えて触れるならばやはり一番人気であろう紺先輩。

完璧だからね、この人。何が完璧って全く完璧じゃないところが。美人で孤高の甘えん坊で、歌が上手くて動揺を表に出さず動揺しやすい超低血圧。あぁ…(言葉にならない溜息)。

 

そんな紺先輩、大きな挫折の原因となった座成と一応の決着を迎える。

大学生活について歩鳥に聞かれたとき、訛をからかわれてる子を回想しての台詞、「なんだこんなもんかと思ったよ」。聞き手の歩鳥は当然、大学生活の感想だと思うシーンで、読者も読み流してたらそう思うシーンだけれど(自分がそうだった)、読み返してみると「こんなもんか」のコマは大学生活のコマと服装が違い、座成に会いに行ったときの服を着ている。つまり、この言葉は久しぶりに会いに行ったら気まずそうに狼狽えながら紺先輩に接する座成に対しての言葉だ。

そう考えると大学生活のエピソードも少し変わってきて、昔の巻を読み返してみると座成先輩も少し訛がある。つまりそこを対比させているし、あるいは想像だけれども、近況を尋ねられた座成も同じような目にあったという話をしたのかもしれない。

こういう初見では読み過ごしてしまいそうなことが、随所に散りばめられているのがそれ町の大きな魅力の1つだ。

 

ちなみに座成に関しては、13巻に収録されている針原さん視点の紺先輩と座成の思い出話も、改めて2回目を読むと大きく意味合いが変わってくる(当時でもちゃんと読み込む人は気付くように出来てるけど)。

これについて、後述する廻覧板を読むと石黒先生が悪意たっぷりに解説をしてるので必見!

 

そして最終巻でもう一つみんなが印象に残るであろう話は最後の2話だろう。

これまたなんとなく読むと、風呂敷をイタズラに広げたものの畳まず逃げたかのようだけど、それ町特有の時系列入れ替えトリック。それを最後2話に持ってきた上でミスリードを誘う順番にし、投げっぱなしメタエンド風にしてるのが鮮やかすぎる…(声にならない溜息2)。

ネタバラシをすると、これは連作のようで全く時系列の違う2話で、特に歩鳥が消えてしまうことを選んだ続きの話は既に14巻で描かれている。ここも凄いのは一話完結でSF(少し不思議)として成立していたのに、最終巻の話があることで歩鳥が選択した生まれた世界の重み、深さが増す。

 

この辺りの解説はすべて解説本である廻覧板に書いてあるので、これまた必見ですよ。 解説片手に読み返すと200%楽しめます。

 

そして、それ町らしい終わり方ではあるものの、物足りなさも感じてしまう最終話(本来最終話ではないし)。

最終巻で、石黒先生はホントの最終話を描き下ろしてくれた。

一瞬エヴァの悪夢を思い出させられるがそんなことはなく、むしろ一コマ一コマの中の服装と台詞と表情だけで、性格と成長、両方表現している石黒先生の漫画表現の集大成だった。

祝福する町の人々。

祝福する迷惑をかけた恩師。

祝福する家族。

小学校時代の友達と仲良くする弟の姿。

驚く友人。

真っ直ぐに褒めてくれる先輩。

辛いときもめでたい時もカレーを振る舞ってくれる婆ちゃん。

 

成長した歩鳥。

そしてもっと前から成長していたことを知り、驚き、喜び、寂しがり、感謝する静。

 

それだけでも最高だったのに、Kindle版だと最後に表示されるカバー裏の絵が、歩鳥が変わらずそのままの歩鳥で、それでも町は廻り続けることを一枚の絵と言葉で表現されている。

 

まさしく100点満点の最終巻で、廻覧板の解説を読みながら全巻読み返したら、200点の『それでも町は廻っている』でした。

 

 

 

 

 

予定

いろいろと忙しさにかまけてすっかりと放置していたものの、書きたいことはいくらでもある。

それでも町は廻っているの感想は絶対に書かないと、ブログを始めた意味がない。

それくらい漫画という媒体で可能な、伏線、表現、シナリオ、全てに置いて完璧だったと思うのだ。

 

ただ読むだけだと一見放り投げるかのような最終話(勿論そんなことはない)で終わり、そこからほんの数ページの書き下ろしエピローグ。

その数ページのエピローグに全てが詰まっていて泣ける。

 

また後日。

FF15 プティウォス遺跡

ファイナルファンタジー15

あれからポチポチとクリア後オマケを楽しんでいるファイナルファンタジー15

 

盗賊イベントだけ攻略サイトを見たので、プティウォス遺跡があそこにあるとは知らず、たまたま見つけることが出来た。いや隠しダンジョンの存在くらいは知っていたけどまさかああ言うものだったとは。

 

もともとアクションは嫌いではなく、GOWは一番難しいモードでクリアしたし、魔界村も実機でクリアした。ちなみに上手なのではなく、トライアンドエラーを繰返すだけ。つまり執着力が強いだけだ。

 

そんなわけでプティウォス遺跡もクリアはしたけど、4時間かかった。

最初は「すごーい!アクションステージだー!」ってテンション上がったけど、最初だけだった。(フレンズへの道は遠い)

 

あそこまで難しくする意味とは。

本来が精密アクションではないので繊細な動きが出来ない。

暗くて情報がわかりにくい部分がある(アイテム置くことでフォローしようとはしてたが)。

角度が変わるギミックはそもそも角度を把握しにくい。

カメラ機能も悪い。

 

この辺りは難しいのではなく、やり辛くしてストレス溜まるだけなんだよなあ。下手で死んだというよりも不親切で死んだ感が強すぎる。

ただ何というか、凶悪なものを作ってやろうという強い意志は感じた。隠しのオマケなのに手が込みすぎている。これは単純に力の入れ具合おかしくない?って思うけど。

 

マリオメーカーの時にそう思ったんだけど、鬼畜ステージを作るのは簡単。クリアさせないようにしたら良いだけだもん。

嫌にさせすぎないギリギリの難しさで、それでいてクリアした時に俺凄いと思える難易度が一番アクションのベスト。そこが完璧なのはゼルダシリーズ。あれは誰でもクリア出来るのに誰でも歯ごたえあると感じるとんでもないゲームだ。

 

そもそもFF15のクリア後ダンジョンは全て暗すぎて爽快感に欠ける。

どうしてそういう仕様にしてしまったのかなあ。

けものフレンズ

遅ればせながらけものフレンズ視聴。

評判通りキルミーベイベーのようななんとも不思議な中毒性。

 

ポジティブで可愛らしいケモノ女の子だらけのユートピアに内包されるディストピアの雰囲気は狙い通りだろうけど、ここまで話題になるとはそりゃ計算出来ないよなあ。

まどマギのようなターニングポイントがあるわけでもなく、「すごーい!」「たのしー!」はネットスラングとして狙いに来た感もまるでない。

ただ、閉鎖済のアプリをアニメ化したという所に野心は感じるけど、パーセンテージで言うと間違いなく部の悪い賭けだし。

 

何故ここまで一部の大きなお友達から異様な人気を集めているのか考えるため、小さなお友達から異様な人気を誇るアンパンマンを考えてみよう。

まず乳幼児は丸いものが無条件に好きだ。

美人のナースさんと、丸々太ったナースさんなら間違いなく丸々太ったナースさんのほうが乳幼児から人気が出るらしい。アンパンマンも顔のパーツは全て丸で構成されているので、それが人気の理由の一つであることは間違いない。ちなみに、ドラえもんきかんしゃトーマスも同じことが言える。

 

けものフレンズは単純に可愛い女の子しか出て来ないので、大きなお友達から人気が出るのは当然。大きなお友達は美人なナースさんが好きだ。

 

次に、アンパンマンは絶対的なベビーフェイスである。自分の顔をちぎってカバに食べさせるというのは文字にするとやべえ奴だけど、やなせたかし先生のひもじい事が一番辛いという哲学に照らし合わせると、最上級のベビーフェイスであることも当たり前だ。

 

けものフレンズのサーバルちゃんは、とにかくポジティブだ。「すごーい!」「たのしー!」の口癖はもちろん、特技が見つからないかばんちゃんに対しても「へいきへいき!フレンズによって得意なことはちがうから!」

癒される…。自分の可能性に限界が見えてくる年齢、もしくはそれをとうの昔に過ぎた大きなお友達にとってこんなに優しい言葉はない。ベビーフェイスっていうか女神。

 

さてそんな優しい世界観のアンパンマンとけものフレンズだけれど、両方ともおや?と思う闇もある。

アンパンマンはバタコさんとジャムおじさん以外人間いなくね?問題と動物やバイキンですら喋るのにチーズは?問題だ。

ただ、これに関してはそこに言及するのは無粋なだけで、そういう世界だからという説明で十分だ。むしろそれで良い。子供向けのアニメでは、人も動物も仲が良く、喋れない犬だって可愛がられているというだけでメッセージは十分だ。

ド菌が食パンに恋をするし、ヒールのバイキンマンアンパンマンを助けたことだってある。(イタイノトンデケダケは名作)

 

それに対しけものフレンズは、アレ人類ひょっとして?問題、敵に当たる存在も無機質で不気味だし、エンディングも廃墟の遊園地と伏線は露骨に張る。

でもそれで良い。大きなお友達は考察することが基本的に好きだし、嫌ならば「たのしー!」で済ませる柔軟性もある。

 

他の共通点としては、両作品とも適度に文明がないのに、その上でオーバーテクノロジーが存在している所も一緒だ。

それもまた、ユートピアでありディストピアの世界観の一役を担っている。(あれ?アンパンマンディストピアになった?)

 

そういうわけで、小さい頃アンパンマンを夢中で見ていた大きなお友達向けに再構築されているのがけものフレンズ、という結論で話を終える。

僕だけがいない街 9巻

もともと「僕だけがいない街」はSFサスペンスといった内容。練り込まれたストーリーは勿論(8巻でスパッと終わらせた所もお見事!)、個性的ながら上手な絵も特徴的な漫画で、大好きな漫画だった。

というか、この絵何処かで見たことあるなーと思ってたら「菜々子さん的な日常」の作者だと知って驚いたものだ。和やかでいて露骨にエロいながら妙に面白く、現実に体験してないことしか起きてないと思うのに、何故かノスタルジーを感じてしまう不思議な漫画だった。更に言うなら超エロいのにエロくない。

要は何かよくわからないが

面白い漫画だったというわけだけど、まさかその後あそこまで面白い漫画(僕だけがいない街)を描くようになるとは夢にも思わなかった。

 

そしてその完結した「僕だけがいない街」のスピンオフである9巻。相変わらず後書きが「非日常的な日常」だったり、副題がReだったり、わかる人にはわかる菜々子さん要素もなかなか心憎いぜ。

 

スピンオフは蛇足になりがちなものだけど、今作は全くそんなことはなく、作品としてしっかりと成り立っているし短編集としての完成度も高い。最終話は少しいらなかった気もするけど、最後は未来に向かわないと行けないのであれでも良い。苦労と希望が混在する登場人物がラストを締めるのは正しい。

 

母子愛、友情、大人による子供への思いやり、そして人間の強さ、全てが綺麗に描けていた。

描かれている時期を考えると、失った者への後悔や贖罪という、重くて纏わりつくようなテーマになりそうなものなのに全くそういう事がなく、明るく、それでいて共感出来る、尊敬出来る(登場人物が全員格好良くて嫌味がないって凄いこと)描き方をしたのは間違いなく三部先生の力量がなせる技だと思うのだ。

 

読んで良かった。

僕だけがいない街を好きな人は、9巻、絶対に読んだほうが良いですよ。

僕だけがいない街を読んだことない人は、最初から、絶対に読んでみたほうが良いです。